「命(いのち)について(まじめに)考えるの巻き」

師範  藤本 恵祐

 2007年8月26日

 コラムも今回で56回目、スタートして1年余りが経ちました。最初は「うわっ、もう順番が廻って来た!」という感じでしたが、最近は徐々に投稿する指導者も増え、締め切りへのプレッシャーも少なくなってきました(笑)。 これからもどんどん指導者・投稿者が増え、さらに賑やかになることを楽しみにしつつ、いつかこのコラムが小冊子にでもなれば・・・と期待しています。 

 さて、今回は「命」について考えてみました。少々お時間拝借。 道場でも少しお話ししましたが、今年は太平洋戦争終結から62年になります。もちろん、私は生まれていませんが、新聞記事によれば、毎年日本武道館で開催される戦没者追悼式に参列されたご遺族の方で、亡くなった兵士の親としての参加者がたったお一人だったことが紹介されていました。その記事を読んでも、我々日本人にとって、戦争が段々と遠い過去の出来事になりつつあるのではないか、という印象、危機感を強くしています。

 私は戦争には反対です。人間ひとり一人が、どうしたら世界から争いごとがなくなるか、常に真剣に考え、行動することが大切だと思っています。それは、一旦戦争になれば、多数の人命を含む取り返しのつかない犠牲が出てしまい、結果的に得るところが何もないからです。 

 先の太平洋戦争でも、多数の兵士、国民(相手国を含めて)の尊い命が犠牲になりました。中でも、旧日本軍の「特別攻撃隊(通称特攻隊)」の史実、悲話には胸を打たれる思いがします。 

いくら母国の窮状を救うためとは言え、まだ成人になっていない若者も含め、片道の燃料しか搭載していない戦闘機で、爆弾とともに敵艦に体当たり攻撃を仕掛けたわけです。出発前にほとんどの隊員が遺書をしたためていますが、涙なくしては読めません。 

 国のため、愛する家族のため・・・とは言いながら、本当はもっと長生きして親孝行も含め、自分のやりたかたことや夢を叶えたかったはずです。(空手や柔道、剣道などの武道を愛してやまなかった多くの若人も、やり切れない思いを胸に秘め、特攻機に乗り込んだことでしょう)。戦争の勝敗は別として、たった一つしかない大切な命を捧げてもらったのです。 

 私は1961年生まれですので、ちょうど戦後の高度経済成長期に生まれ、育ちました。お陰さまで、食べるものや着るものなどにさほど不自由を感じることなく成長し、戦後日本の発展期の恩恵をフルに受けた世代だと思います。

 しかし、その恩恵は上記のような尊い命の犠牲の積み重ねの上に成り立っているものだということを私たちは決して忘れてはならないと思います。 

終わることのない国際紛争はもとより、日本でも環境破壊、政財界汚職、イジメ、競争に明け暮れ疲れ果てた末の自殺、金銭目的でいとも簡単に行なわれる殺人・誘拐などの凶悪犯罪、食品・建築偽装、不正・・・・目を覆いたくなるようなニュースを目の当たりにする毎日ですが、もし、先の戦争の犠牲となった皆さんが、今日の日本の現状を見たら、一体どのような感想を持たれるでしょうか。

 現実を嘆いてばかりいても仕方がありません。我々ひとり一人が、もう一度自分自身、そしてみんなの「命」の尊さをしっかりと考え直し、「限りある人生をみんなの幸せのために全うする」という気持ちで問題の解決に向けて取り組みたいものです。

 道場の一般クラス会員や保護者の皆さんは、自分の両親や祖父母などから悲惨な戦争体験をきっと聞かれたことがあると思います。その見聞を絶やすことなく、今の子供達の世代にもしっかりと引き継いで行きましょう。そして、今や世界にしっかりと根付いた「空手道」の人の輪・和をさらに広げて、二度と無益な戦争が起こらないよう、国際交流の観点でも地道に貢献して行きたいものです。

 窓の外は時あたかも蝉しぐれ。地上で短命な生しか許されていない蝉たちの喧騒は、私たち人間の「命」の使い方を一生懸命問い質しているような気がしてならない今日この頃です。 
 

 

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