今年はいつまでも暑いなあ!なんて言っていたら・・あっという間に涼しくなり、秋が深まってきました。
先日は、首都圏大会ご苦労様でした。たくさんの選手に参加していただき、大変盛り上がった大会になりました。勝てた人も勝てなかった人もこれからの修業につながる、とてもよい経験ができたと思います。
本当におめでとうございます。
さて、今回は、荘子(紀元前300年ころの中国の思想家)より「木鶏」の一言。
曰く「幾せり、鶏の鳴くものありと雖も、変ずる事なし。
之を望むに木鶏に似たり。その徳全うし。
異鶏の敢て応たる無く、反りて走れり。」
昔、中国のある人が王のために闘鶏を養っていました。10日経って王が聞きました「鶏はもう戦えるか?」
「まだです。からいばりして、向こう意気が強いだけです」
10日経ってまた王が聞きました。
「まだです。相手の声や影にさえも向かっていこうとします。」
10日経ってまた王が聞きました。
「まだです。相手を睨みつけて意気が盛んです。」
10日経ってまた王が聞きました。
「もう十分です。他の鳥が鳴いても、一向に動ずるところがありません。
遠くから見るとまるで木でつくった鶏のようです。
自然の徳がそなわりました。
ほかの鶏も相手になるものがなく、逃げ出してしまいます。」
突かれても蹴られても、あわてず動じず、落ち着いて「泰然自若」。
上地流の私たちにとって「木鶏」こそ理想の「三戦」なのかも知れません。
「木鶏」の気持ちで、試合や審査また授業や仕事に望めば、必ず自分の力を発揮できる。単に勝ち負けや成功にとらわれるのではなく、自分の力と稽古・普段の精進を信じて正々堂々と戦いましょう。
必ず結果は実りあるものになると思います。
最近のボクシングで、あまりにも情けない世界タイトル挑戦がありました。誰が見ても、ひどい試合でした。
あの一家は何のために戦っていたのでしょう。「勝つためには何をやってもよい」・・世の中の誰もがその戦い方は認めませんでした。
もっと戦いたいなら、一度「木鶏」を目指して修行して出直して欲しいものです。