時間密度 |
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指導員 上地 正昭 |
2007年12月29日 |
皆さん、こんにちは。この度、転勤で茅ヶ崎道場を離れる事になりましたが、藤本先生の計らいでコラムの執筆メンバに加わることとなりました。「これを書く以上は、『名古屋に行ったので、現在空手を休んでいます。』とは言わせない!」という師からの無言のプレッシャーを感じておりますが、近況などを交えて、そこはかとなく書き綴りたいと思います。 さて、最初のコラムでは「時間密度」について触れたいと思います。我々の道場は、主に毎週土曜日 に稽古を行っていますが、仕事や学校行事、家族のイベント、他の習い事、その他様々な事情で、その週一回ペースの稽古もままならない人も少なくないかと思います。 プロの格闘家でもない我々にとって、空手よりも優先しなければならない事はいくらでもあり、空手に費やせる時間も人それぞれだと思います。「人は生まれながらにして不平等」という言葉があるように、「我々が空手に費やせる時間も不平等」なのが実態ですよね。これは、稽古に通える頻度だけでなく、稽古を続けられる期間にも同じことが言えると思います。 今回私は名古屋へ転勤となり、3年ちょっとの期間の茅ヶ崎道場通いに一区切りがつきますが、この間に転勤や就職で道場を離れた人が何人もいる事を考えると、3年間続けられただけでも幸運であったと感じています。 このように空手にかけられる時間が人によってそれぞれ異なる一方で、「道場の中での時間は皆平等 」というのもまた事実ですね。この同じ時間をどのように有効に使うか?これを最近では「時間密度」という言葉で表現するようです。 例えば、中間補助運動の中に「正拳突き」の稽古がありますが、この最もシンプルな動作の稽古においても、その取り組み方によって「時間密度」が人それぞれ違っているのではないでしょうか。
・ ミートの瞬間まで力まない ⇒ スピードが出る、相手に初動を悟られにくい ちょっと挙げるだけでも、正拳突きの際に意識しなければならないことは多くありますよね。これらを考えずに惰性で突きの稽古を繰り返すのと、意識して試行錯誤しながら突くのとでは鍛錬の密度が全然違いますよね。最もシンプルな「正拳突き」からしてそうなのですから、他の応用技の稽古ではもっと顕著な差が生まれることでしょう。これらの積み重ねが、1年後、2年後の成長に大きな差として顕われるのではないでしょうか。 いずれのスポーツに限らず、「一流の選手はよく頭を使う」と言います。これは、本番時のプレーだけではなく、練習の時にも、目的は何か?自分の動きは今どのようになっているのか?他人と違うところはどこか? なぜ違うのか?そんなことを常に考えながらトレーニングに取り組む人が多いことからそう言われるそうです。
我々は、週末の貴重な時間を使って空手道場に通っています。黒帯を取得するまでの時間を例えばピアノのレッスンに使っていれば、全くピアノを弾けなかった初心者が自分の好きな曲をいくつか弾けるぐらいになっている
ことでしょう。そんな貴重な時間を費やすのですから、限られた時間をできるだけ
意義あるものにしたいですよね。「体と一緒に頭も動かす」そんな習慣を心がけたいですね。(そのためには本人の意識だけでなく、その貴重な時間を与っているという指導者の意識と適切な指導も重要であることを自戒の念を
込めて付け加えておきます。) |