思い出を生きる |
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指導員 叢 可奈子 |
2008年9月9日 |
道路に仰向けになって転がっている彼らを見ると、うるさかった鳴き声もどこか切なく思い出されます。 私たちはせみ達のように短い命ではなく、時間をかけながら歳を重ねていきます。 これは誰にも避けられません。その中で、歯が悪くなったり、脚が悪くなったり、耳が聞こえづらくなったり。どこかに不自由な部分を抱えながら生きていくことになります。 さて、私はこの夏、デイサービスを基本とした認知症対応型の宅老所を訪問しました。 そこには素敵な出会い、関わりが多くありました。 そこで生活する多くの方は「何かを失くしていく不安」を感じながら生活しています。 それは前にも言ったように、身体の機能もそうですし、記憶もまたそうです。 私には想像することしかできませんが、その不安の大きさは計り知れません。 しかし、この宅老所を利用する高齢者の皆さんは、落ち着いた笑顔を見せてくれました。 お花柄のブラウスに、髪の毛をしっかりとセットしたお洒落なおばあさんとお話しする機会がありました。 自慢の娘さんのお話を、繰り返し何度も聞かせてくださいました。私がそのストーリーを暗記してしまうくらい何度も、です。 正直言えば「また同じお話しだな」と思っている私がいました。 でも、その思い出話をするおばあさんの優しい、そして誇らしげな表情は今もはっきり思い出すことが出来ます。 背の小さな、まっしろなおかっぱの可愛らしいおばあさんは、昔おてんばだったようです。男の子と言い合ったり、一緒にかけっこをしたお話しを聞かせてくださいました。 身振り手振りで当時の様子を細かに再現してくれました。 皆さんそれぞれが良い思い出を持っています。 しかし、私が聞いたのは、ただの思い出話ではないのだと思います。 思い出話をしている最中の皆さんは、本当にその当時に帰って、その時を再び生きなおしていて、私はその当時の声を聞いているように思いました。 ですが、老いと向き合い始めたとき、私たちはこの思い出の時を再び生きなおすことが出来るのだと思います。 不安と共に、過去を生きなおし、そしてまた今を懸命に生きるのだと思います。 そのときの私の表情は、勇ましくそして穏やかであると思います。
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