問題発見

指導員  上地 正昭

 2008年9月28日

  社会で活躍するためには、一般に「問題発見能力」と「問題処理能力」の両者が必要とよく言われます。学校教育で主に習得するのは、後者の「問題処理能力」の方で、明示された課題をいかに正確に短時間で処理できるかという能力が問われます。これもとても重要な能力であることは間違いありませんが、例えば良い大学を出ててもあまり使えない人が会社にいるように、また受験テクニックのように短時間で解決のできそうな課題にしか手をつけない官僚達がいるように、「問題処理能力」が優れているだけでは役者不足となってしまうことが社会ではあります。

 では一方の「問題発見能力」とは、どのような能力なのでしょう?私の会社では、この「問題発見能力」はとても重要な能力として、若手の教育カリキュラムにみっちりと組み込まれております。私の理解では、「問題発見」には大きく二つの意味があると認識しています。ひとつは発生した問題のもっとも根幹となる原因、すなわち真因を見極めるための能力。もう一つは、日常にありふれ溢れている情報の中から、まだ顕在化してない問題を見つける能力。主にこれらの能力を習得することの難しさと重要性を理解するための教育に多くの時間が割かれています。

 とは言うものの、そのような教育を受けていても会社の多くの人達にとって、問題とはいくらでも降ってくる目の前の仕事のことであり、毎日それらを処理することで手一杯となり、本当の意味での問題発見を実務の中で実践している職場や人間は、実際にはごく少数であるのが現実です。問題が顕在化するまで汚染米の問題に取り組まなかった行政も、そのような風土の末期の典型例だと感じます。

 また、日常生活の中には問題に気づかない方が幸せな場合も多々あります。所謂「鈍感力」というやつですが、例えばグルメでないほうが安いレストランで楽しめたり、相手の心情をあまり気にしない方が皮肉などにも気づかなかったりして、程よく鈍い方が幸せだったりすることが多々あります。しかしながら、こと何かの能力を高めたい、極めたいという場合には、言うまでもなく、やはり「鈍感」より「敏感」であるべきなのでしょう。そう、所謂「違いの分かる男(女)」です。

 空手においても、型や組手の技術で自分は上手い人と何が違うのか?何が不足しているか?それに気づく人と、気づかない人では成長代が顕著に違うように感じます。稽古の中で指導者が全ての課題を指摘してくれることはないですよね。自分と他人を客観的に比較し分析できる能力、そしてそこから問題を発見し自分が何をやるべきかを設定できる能力、自らこれらを意識して高めてゆく事が、空手に限らず社会で生きてゆくために重要だと感じます。特に自分を客観的に観察することって難しいですよね。空手に限って言えば、ビデオで撮影してもらうことがとても有効だと感じています。数ヶ月に一度ビデオ撮影&鑑賞時間を稽古に取り入れてもいいかもしれませんね。人間は見たくないものに対して盲目になりがちです。空手を通じて自分を客観視する能力と習慣を身に付けられたら素敵ですね。
 

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