忙中閑有り 壺中天有り   六中観より

准師範  宮崎 祐吉

 2008年10月19日


いよいよ今年もあと2カ月と少し。
11月は昇級審査、藤沢道場演武会(秋の祭典)、昇段審査、交流稽古、全沖縄選手権大会、国際交流稽古、総本部20周年記念事業、豪州遠征などなど・・・いろいろなイベントが盛りだくさん。本当に忙しい月になりそうです。
でも忙しさの中に本当の「閑」を自ら見つけ出してはどうですか?
 

さて今回は安岡正篤先生の百朝集にある「六中観(りくちゅうかん)」という人の道をといた日本の名言です。
安岡先生は陽明学者で孔子、孟子、老子、荘子などの東洋思想の大家です。
昭和の財界リーダーの啓発・教化や歴代の総理大臣のご指南役をされ、『平成』の元号の考案者として有名です。
 

「六中観(りくちゅうかん)」
忙中閑有り  (忙しい中に本当の閑がある。閑は自ら見つけ出すもの。)
苦中楽有り  (本当の楽は、楽の中にあるのではなく苦の中にある。)
死中活有り  (死の中に活きるということがある。死を通じて活を知る。)
壺中天有り  (壺の中に一つの世界がある。別天地がある。)
意中人有り  (心の中にいつも人がある。恋人だけではなくて・・。)
腹中書有り  (自分に哲学・信念を持っていること。)
 

なんとシンプルなのに、奥行きが深いのでしょう。
読む人それぞれの意識や経験により、理解の深さも変わるのでしょう。
 

この中で、中国の故事から来ている言葉、「壺中天有り」の話をしましょう。
昔、中国のある町の役人さんが通りで薬を売っている一人の老人を見つけました。
老人は夕方になると、後ろにある壺の中にすうっと消えてしまいました。
この老人にお願いし、一緒の壺の中に連れて行ってもらったら、
そこは山水秀麗の別天地で、役人さんは金殿玉楼で十分に歓待されました。
 

この話から、「壺中の天」の故事は生まれました。
楽しみというものは、現実の生活、人生の中に発見されるものであるということ。
人は自分の意識の持ち方でどんな境遇にあっても自分だけの「壺中天」を持つことができるのです。
そんな壺中天は、つらい時や苦しい時でもきっと自分を救ってくれると思います。
 

「皆さんは壺中の天を持っていますか?」
わたしにとって空手修行は大切な「壺中の天」になっています。
1週間の仕事で金曜日はクタクタです。でも週末が来るたびに私は壺の中に入ります。
するとそこには空手を極めたいという熱い眼をしたたくさんの老若男女(笑)。皆さんの熱意に、楽しい稽古の時間を過ごすことができます。いつの間にか疲れやストレスからも解放されています。
でも壺から出た月曜日はもうクタクタになっていますけどね。(笑)
 

空手でも、部活でも、音楽でも芸術でも何でもよいと思います。
自分の「壺中の天」を持てるよう何かに取り組んでみましょう。
きっと人生がさらに広がる楽しい世界が待っていると思います。
 

またみなさんも「六中観」じっくり考えてみてください。
「忙しい時も、苦しい時も、そこに閑や楽しみを見つけるのは自分です。
苦しくても辛くても死ぬ気になれば活路がみつかる。
自分に哲学・信念をもって、頼れる仲間や先生を持ち、
自分の世界を持って人生を楽しみましょう。」
私は六中観をこう思っています。
 

今年もあと少し。忙しくしながら楽しみながら充実したよい時を過ごしましょう。


 

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