個人限界 |
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指導員 上地 正昭 |
2008年12月12日 |
オーストラリア訪問の様子、HPで写真を拝見すると羨ましい限りですね。一生の財産になるようなイベントの数々であったように見受けられます。一緒に行けなかったのがとても悔しい・・・・・。 さて、空手に限らず人生においては色々な場面で自分の能力の限界を感じることがあります。誰もが年齢を重ねれば重ねるほどそのような経験は多くなり、時には挫折感や敗北感として心の傷となることもありますが、時には自分が夢を追いかけているのでなく、夢を見ているだけという事に気付かせてくれたりもします。自分は他人より何ができるのか?何に向いているのか?自分自身を知り、より良い方向へ自分を成長させるための重要なプロセスなのでしょうね。 とは言うものの、自分の限界を感じた時に人のモチベーションというものは一気に落ちてしまうものですよね。空手でいえば、道場に入門した時の高いモチベーションが維持できなくなるのも、試合に負けたり、審査で失敗したり、他人と比べたりして、自分の能力に限界を感じたり、他人より劣っていると感じた時ではないでしょうか? プロであったり多くの時間を費やせる学生であったりすれば、限界を語る前に単純に努力が足りなかったと、次回に向けて気持ちを高めてゆけば良いわけですが、環境や年齢、費やせる時間などに多くの制約がある我々の場合は、なかなか単純にはいきませんね。空手との付き合い方が決まるのも、ちょうどこのタイミングなのかもしれません。もう少し空手に時間と労力を費やせば、それなりにレベルアップするのは分かっていても、その努力によって期待できる到達レベルと他の様々な優先事項とを天秤にかけ、人それぞれの空手との距離が決まってゆくのだと思います。 しかしながら色々な制約があるからこそ、積極的に時間を作り労力を費やしてゆかねば、なかなか思ったように上達しないのも事実であり、そのためにも自分に無限の可能性を抱きながら、高いモチベーションで空手と付き合ってゆきたいものです よね。そんな時は少し考え方を変えて、自分を「個」として考えるのではなく「集団」として捉えてみるのも、一つの良い方法かもしれません。それは各人が湘南沖空会の一部であることを認識するという考え方です。例えば、10の型が全て上手くできる達人が道場に一人だけいるより、1つの型をそれぞれ上手くできる人間が10人いる道場の方が、より多くの人達に指導できるという観点から優れた道場だという考え方があります。つまり、我々の一人一人が、「小手鍛えマスター」や「足先蹴りマスター」、「柔軟(開脚)マスター」など、何かひとつでも良いので、それぞれの得意技をもって成長してゆくと、その総和がそのまま道場の集団としてのレベルとなり、湘南沖空会をよりすばらしい道場に成長・発展させることに繋がって行くということです。
自分という個人の単位でだけでなく、道場という単位で目標や限界を考えてみると、仲間の数だけその可能性が広がり、それに応じたやり甲斐やモチベーションも湧いてくるのではないでしょうか?独りでも稽古できる正拳突きをわざわざ道場で皆で一緒に行う空手という競技には、野球やサッカーなどの集団スポーツと同様に、目標や喜びを仲間と共有して楽しむ要素も多分にあるのだと感じます。 |