『童謡で動揺』 |
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指導員 大山 登 |
2009年8月27日 |
まだまだ暑い日が続く今日この頃のある日の夜、ほろ酔い気分で寝ようとした時、熱帯夜で寝付けずにいると、ふとベットの横を見ると1冊の本がありました。 妻が読んでいた本だと思い何気なくページをめくっていました。96歳のお医者さんが書いた本でしたが、その中に童謡の「しゃぼん玉」について書かれていました。 みなさんも子供の頃一度は歌ったことがあると思いますが、「しゃぼん玉とんだ 屋根までとんだ 屋根までとんで こわれて消えた」というフレーズです。 私は今まで何気なく憶えていたのですが、その歌の内容が野口雨情という作詞家が生まれたばかりのわが子が7日間で亡くなってしまい、わが子をしゃぼん玉として歌が作られたそうです。 わが子が天国に行けるよう作った詩なんですね。ずいぶんと悲しい歌だったのに楽しく歌っていたことを記憶しています。 みなさんもどんな歌だったか思い出してみて下さい。 そんなことを考えていたとき、童謡に限らずすべてのことにプロセスがあるのだと感じました。何気なく使っている物にもそこには、考えた人の気持ちが込められているのでしょう。 しんみりとした気分になってしまったのですがここで、強引に空手の話へもっていきます。 普段稽古をしている空手の型ですがやはりここにもプロセスがあります。一つ一つの技を考えると、あれっ?この手の動きは何?その足の構えは?などと考えれば考えるほど先に進みません。 何気なく使っている構えには、上地完文先生から脈々と先輩方に伝えられ試行錯誤の上出来上がった技で、それまでには様々な過程があり苦労の末、今の形になったと思います。 歴史を感じながら考えると、また別の視点で見れるのではないでしょうか。 などとこじつけのようなお話になりましたが、普段考えなかったことを考えた1日でした。 以 上 |