「空手との出会い」 |
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指導員 角田 仁司 |
2010年6月13日 |
さて、このコラムを読んでいらっしゃる方の多くは、何かのきっかけで空手というものに興味を持ち、 そして何らかの理由や事情があって上地流を修行することになったのだと思います。 私にももちろん空手との、そして上地流との出会いと入門のきっかけがありました。はなはだ自分勝手ですが、少し私事にお付き合いいただきたいと思います。 まず空手との出会いですが、世の同年代の多くの方々同様、私の青少年期はブルース・リーとともにありました。 ブルース・リー映画が上映されるたびに、街にはにわかブルース・リーがあちらこちらに現れ、怪鳥のごとき声を発し、友達間で飛び横蹴りが炸裂しあい、ヌンチャクが校舎の壁に穴を開けるなんていう事態が起こっていました。 中学・高校と野球少年で午後の大半を野球で過ごしていた私ですが、 時代の流れに遅れてはならずと、暇さえあれば近所の空手道場に見学に行き、友人の通う道場で体験をさせてもらっておりました。まったく軽薄ですが、これが私の空手との出会いでした。 以後、正直言って、空手の"道”だとか"武道の精神”などを真摯な態度で学ぶことなく、うわべのかっこ良さに流されつつ空手を楽しんでいたわけですが、 ある時アメリカを訪れた際、そこには日本よりもさらに多くのブルース・リーフリークが居て、日本より多くの武道好きが居ることに驚かされました。 ブルース・リー映画はいたるところで上映され、テレビでは3年にわたるロングランで放映された「Kung
Fu」がさらに再放送されていて、本屋には武術本、空手雑誌が氾濫していました。電話帳を開くと、漢字を模した字体のアルファベットで書かれた空手道場の広告が多くみられました。 そんな中にたまたま入り込んでしまった日本人の私に期待されるのは、「日本人だから当然本物の空手を経験していること」。で、”Do
you know a lot of Karate?"と問われて、つい"Yah,
of coursse!"と答えてしまった私に残された道は、マジに空手をやることでした。 さて、はなはだ退屈な話で恐縮ですが、以上が私の空手との出会い(その1・出会い編)でした。機会があれば(その2・上地流編)でも書かせていただければ、と思っています。 (注)子供や若い方でブルース・リー(李 小龍)ご存知ない方はネットで検索してください。映画ドラゴンシリーズは必見です。 |