「お地蔵さん」 |
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指導員 角田 仁司 |
2010年12月12日 |
お地蔵さんのお話 空手談義とは少々離れますが、今回はお地蔵さんのお話を少しばかり。 お地蔵さんは弱者を災いから守ってくれる仏様で、特に子供の守り神として全国各地でも信仰されているそうですが、私の故郷京都でも昔から民間信仰としてお地蔵さん信仰が根付いています。京都では各町内に必ず道端や民家の脇に置かれた小さな祠中にお地蔵さんが祀られており、夏にはそのお地蔵さんので子供達が集まって地蔵盆と呼ばれるお祭をします。しかし、そのお地蔵さん信仰が時代と共に色あせてきたようで、先月の京都での法事の時も、お坊さんが、「最近の若いお親御さん達はお地蔵さんを大切にしはらしません。先日も前を歩いていた母子の、ちっちゃなお子さんがお地蔵さんの前で立ち止まっているのを見たお母さんが、『何してんねん!ちゃっちゃと歩きよし。お地蔵さん拝んだかて何もしてくれはらへん!!』言うてはりました。なんや、寂しい気持ちになりました。」と嘆いておられました。 昔は、お地蔵さんの祠の前を通る時に会釈をしたり両手を合わせる人の姿をよく目にしたものですが・・・。 京都の街中も、古い家屋が減り、鉄筋コンクリート造の家屋やマンションが増えていく中、お地蔵さんの居場所(置き場所)が段々と無くなってきております。先週、私の実家のある町内のお地蔵さんも、今までそのお地蔵さんが置かれていた場所の地所の方が家の売却・取り壊しをすることになり、お地蔵さんに移動しもてもらわなくてはならなくなりました。そして移転先として白羽の矢が立ったのが我が家の脇。日頃留守がちなので、置いても問題なかろうというのが町会長さんの判断らしいのですが、いざ我が家の隣にお地蔵さんが来るとなると、「ありがたいこっちゃ。」とも言っていられないのが現実です。近所の人が我が家の方に向かって両手を合わせる、家の周り・祠の周辺をいつもきれいにしておかなければならない、そしていつも清らかな心でいなければいけない気がする…。「家の脇にお地蔵さんに来てもらって、お地蔵さんを大切にしてあげたら、ええことあるんちゃうか?」「いやいや、少しでも粗末にしたら、それこそバチあたるんちゃうやろか?」「家の前で路駐でけへんようになるで。」我が家でも喧々諤々。 唐手(空手)の道も時代と共に変わってきていることと思います。伝統を守って行く…唐手もお地蔵さんも簡単なことではありませんね。 |