恩師を偲んで  

副館長  平尾 裕子

 2011年1月23日

 成人の日が第二土曜になってから
年賀状の抽選日をうっかりと忘れることが多くなってしまいました。 
結婚してから故郷を離れて
年賀状は年に一度の私から
学生時代、OL時代の知人とのメッセージの交換です。

そんな自分も昨年は子供のダブル受験に追われ
(別に自分は何もしないのに、精神的に余裕がなかったのですね)
すっぽかしてしまいました。 
今年はその分、心をこめて送ったつもりです。 

そんな中、寒中見舞いとして悲しい知らせがありました。
高校時代の恩師が昨年亡くなったとの奥様からのお知らせでした。
私も、実家の両親も
すでに退職なされている先生の訃報を知らずに
年賀状を出してしまっていたのでした。 

高校時代の先生との時間を思い出さずにはいられませんでした。
古典の先生でした、が、授業風景はさっぱり浮かびません。
生活指導の先生でした。 

生活指導室だったのか、国語準備室だったのか
先生の部屋によく呼ばれていました。
問題児だったわけではないんです。 

部屋で叱られた記憶もなく
コーヒーでも飲んでいけ、みたいな感じで
説教をされた記憶もないのに
たくさん話をした記憶だけがあります。 

先生の昔話とか
私の話としては、やはり進路については
いろいろ話を聞きだしてくださったという気がします。
どうしろ、ということもなく。 

ただ
そのときは、居心地のよさとしか感じなかったその環境は 
自分の思うままに生きなさい。
君は君のままで大丈夫。 

と、先生が心から私と、私の可能性を信じて
温かく見ていてくれたからだ 

と今になって感じました。
結婚したり、子供が生まれたり、空手を始めたり
報告して、その都度、その都度、メッセージをくださいました。 
君の姿が目に浮かぶようですよ。 

こんなメッセージに私もまた安心して日々を過ごしていた気がします。 

誰かが自分を認めてくれる
そう実感できれば、すばらしいことです。 

私は実感することなく
ただ心地良い、安心感としてそれに包まれていたのです。 

こんなに大人になるまで気づきませんでした。
そして、考えてみました。
私は、誰にそんなメッセージを送れているだろうか。 

子供の出来ていない部分ばかりに目が行っていないか
見えない力を見ようとしているか
未来の姿を見ているか 

これからは
私が見守り、信じ、メッセージを送るのです。
それが
先生への恩返しになるのかな
と思ったのでした。

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