『パンガヰヌーン唐手術セミナー』を終えて |
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館長 藤本 恵祐 |
2011年7月3日 |
6月25日(土)、上地流唐手道・和歌山隆聖館より友寄館長、下野尻先生を講師にお招きし、上地流の原点を学ぶセミナーを開催しました。 ご多忙のなか、何と和歌山(関空)から日帰りでお越しいただき、観光、セミナー、懇親会と慌しいスケジュールになりましたが、大成功に終わりましたことを、心から感謝申し上げます。 振り返れば本年2月に突然和歌山を訪問し、4ヶ月目でセミナー開催まで漕ぎつけました。上地流の原点を知りたい、学びたいの一心から、「思い込んだらどこまでも」のいつもの突撃精神で?(笑)実現した企画ですが、隆聖館の先生方とセミナーに参加頂いた会員の皆さんとで、濃密な時間を過ごすことが出来たと思います。 セミナー会場では、上地完文先生と完英先生がじっと我々を見守っておられるかのような気配を感じたのは私だけでしょうか? 実は私は和歌山隆聖館さんとは不思議なご縁があります。まだ20歳代の頃、勤務先の上司(故人)が偶然和歌山の出身で、お酒の席で「学生時代の親友で、沖縄出身のT君がいて、確か上地流という空手をやっていた。あるとき居酒屋で一緒に飲んでいて不良グループに絡まれ暴行を受けたが、T君は顔面を両手で隠し、ボディを固めて急所をガードしていて全然平気だった。後で聞いたらサンチンという防御の構えだと聞かされて驚いた。」という話しを聞いたのです。 当時私は、上地流が和歌山で誕生したことは知っていたのですが、特に詳しく聞くこともなく、「そういうことがあったのか・・・」程度の反応でした。 2月に隆聖館を訪問した際、道場の会員札を拝見すると、ありましたありました、古参の会員でTさんのお名前が! Tさんは今は道場を遠ざかっておられるそうですが、偶然ご親戚が稽古しておられたので色々お聞きしましたら、どうやら私の元上司の親友のTさんで間違いないようでした。そのほか和歌山隆聖館さんとは、ここでは書き切れない不思議なお話しがたくさんあります。 先日沖縄で、上地完文先生の直弟子に当たる方にインタビューをした際に、私が和歌山まで出向き、完文先生のことを熱心に調べているのを知って、「あなたは、きっと上地流を学び伝えるという星の下に生まれてきたんでしょう。ならばとことんやりなさい。」と激励を受け、さらに上地流唐手にのめり込みそうな感じです(苦笑) その勢いを借りて?、現在完文先生を主人公にした小説を書いています。幼少期、中国修業時代、和歌山時代、晩年を通した生涯ストーリーとなる予定です。 いつ完成するのか? 来年夏には完文先生の足跡を訪ねて中国福建省に渡るつもりですので、そこで仕上げの取材となるよう頑張ります。(そうだ、和歌山隆聖館の皆さんも福建省にお誘いしよう!) 今回のセミナーで学んだ技法をさらに研究し、皆さんと共にこれからも上地流の原点を追い続け、未来に向かってしっかり歩みたいと思います。 THE END |