行ってきました和歌山へ(4回目)

館長  藤本 恵祐

 2012年10月7日

 

先日、上地流唐手道和歌山隆聖館の井ノ上先生、下野尻先生を講師にお招きして、セミナーを開催しました。

 参加された方は、小手鍛え、三戦、十三とそれぞれに味わい深く、実戦的な技使いに、たくさんのことを学んだのではないでしょうか。  

そうこうするうちに、何と週末大阪出張の機会があり、帰路和歌山に立ち寄ってきました。そうです、隆聖館さんにお邪魔するのは今回で4回目となります。

これには和歌山の先生方も、「熱心やなー」と感心されるやら驚かれるやら・・・(笑)  

さて、今回は稽古はさることながら、県立図書館にお邪魔して、和歌山隆聖館の所在地である和歌山市手平の近代史に関する資料を探すことも自分の宿題にしていました。  

図書館でも司書の方が親身になって探して頂き、ついに「この資料だ!」とドンピシャのものが見つかりました。

 その資料は、明治晩年〜昭和初期までの和歌山市における紡績工業の発展と、それを支えた働き手たち(昔の用語で「女工さん」)の生活の様子をまとめたもので、沖縄、特に伊江島から沢山の女性が手平に働きに出て、生活が安定すると工場近隣に住居を構え、そこにコミュニティ=街を形成していった経緯が、当事者の証言をもとに、しっかりと書かれています。(完文先生も最初は紡績工場で働かれていたことは周知のとおり)  

そのなかに、当時手平の沖縄コミュニティ(和歌山沖縄協会)をまとめていたのが、和歌山隆聖館の友寄先生であるとの記述もあり、また当時の手平の地図や工場の鳥瞰図なども含まれており、私はその資料を読みながら、上地完文先生や上地流関係者の皆さんの暮らしぶりが、活き活きと瞼に浮かぶのでありました。  

稽古の後で隆聖館の先生方や会員の皆さんとお食事をするなか、8月の訪中結果のご報告を差し上げた際、友寄館長から驚くような情報提供を頂き、中国福建⇒和歌山⇒沖縄と連なる上地流伝承の系譜の解明が大きく進む可能性が出て来ました。  

パンガヰヌーン唐手術とは一体何か?? 福州伝来の南派少林拳や現代上地流唐手道との関係性は??  

私なりの結論は、現在執筆中の上地完文先生の伝記のなかで発表させて頂くつもりです。  

うーん、行くたびにびっくりするような発見があるなぁ・・・。

また行ってしまいそう(笑)  

(おまけ)
その@

県立図書館から隆聖館にタクシーで向かいました。車中での会話。  

(私)        「あのー、手平にある唐手道場付近までお願いします。あっ、ご存じないですよね・・」  

(ドライバー)「知ってまっせ。二代目・友寄隆吉先生には、以前よく飲みに連れていってもらいましたわ。
                知り合いが友寄道場に通っていたもんで。なかなかきっぷのいい男前のかっこいい先生でしたな。
                カラオケも上手で・・。」
 

(私)絶句・・・(こんな偶然があるもんだろうか?
                 上地完文先生から「4回もよくやって来
たね」と労って頂いているんでしょうか?  

そのA  

来年の首都圏大会少年大会に、和歌山隆聖館さんの少年拳士が遂にデビューするかも!?

楽しみです。


 

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