『行ってきました尼崎へ!』 |
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館長 藤本 恵祐 |
2012年11月12日 |
最近週末に出張などで稽古に出れず、大変申し訳なく思っております。 塚口道場は、戦前に上地完英先生に師事された故・古堅宗隆先生が尼崎市内に戦後間もなく道場を出され、その後を継いで故・福島寿礼先生が塚口に開設された由緒ある道場です。(福島先生は、昭和25年から2年間古堅先生に師事された横浜市在住・原田様の兄弟子に当たるのは皆さんもご存知かと思います) 11月8日(木)夜の稽古にお邪魔し、福島先生のご親戚や、現在の塚口道場会員の皆様にご挨拶をして、さっそく稽古に参加させて頂きました。 今回は実家に帰省中の平尾副館長や藤沢道場の塚平会員も合流して頂き、賑やかな交流となりました。 塚口道場では、古堅先生より国吉流も伝承されており、同流の型を始め、三戦やセーサン、サンダールイ(サンセーリュー)なども演武頂きました。 和歌山隆聖館さんや我々とも細部で異なる独特の技法を拝見し、いまさらながら、上地流唐手の歴史的な幅と深みを感じた次第です。 既にご案内の通り、上地流唐手は戦前に和歌山で産声をあげ、その後完英先生やその高弟たちにより大阪西成、兵庫尼崎、そして沖縄へと伝承の道を辿っています が、その意味で塚口道場は上地流の歴史的変遷過程において重要なポジションを占めると言っても過言ではありません。 これからもぜひ交流を継続させて頂き、その技法と歴史を学ばせて頂きたいと考えます。 そして翌日9日(金)は上地完英先生が最初に尼崎で道場を開かれた場所を訪ねてみました。もちろん、現在は道場の跡形もありませんが、東京本部・前川顧問の沖縄県人会ネットワークによって、なんとその場所を突き止め、カメラに収めてきたほか、その頃の道場近隣の状況などを詳しく記録した資料も入手できました。 完英先生が和歌山手平⇒大阪西成⇒兵庫尼崎と転居され、その傍らで上地流唐手を意欲的に伝授された様子などもかなり見えて来た気がします。詳しくは協会公式ホームページの「パンガヰヌーン拳法研究会」コーナーにご紹介しますので、是非ご覧ください。 さて、これでまた私が執筆中である上地完文伝記のページ数が確実に増えた訳ですが(笑)、今後の夢として早速脳裡に浮かんだのは、和歌山隆聖館友寄道場・巴会塚口道場・我々東京本部による三者交流稽古の開催です。 そうです、私がこのコラムで宣言したことは必ず実現する、というジンクス?があるんです(笑) 隆聖館の皆さん、塚口道場の皆さん、実現に向け是非ご賛同とご協力をよろしくお願い致します。 以上
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