私の師匠

館長  藤本 恵祐

 2013年6月16日

梅雨らしい気候となりました。
何となく雨は鬱陶しいものですが、「恵みの雨」の言葉もある通り、「五穀豊穣」、秋の収穫にとっては欠かせない大切な雨でもあります。
梅雨が過ぎれば、ここ湘南の地も一気に夏本番ですね。
 

さて、先日ある会員さんから、私の師匠について質問を受けました。
確かに、私の師匠については指導者の皆さん以外にはあまりお話ししたことがありませんので、このコラムをお借りしてご紹介しておきたいと思います。
 

私は昭和55年に郷里熊本から、当時東京八王子市に移転したばかりの中央大学に進学し、たまたまアパート(八王子市下柚木)の近くにあった空手道場に入門しました。  

当時の道場名は、「半硬軟(パンガヰヌーン)流空手道連盟・八王子守礼館」であり、今の「上地流」という流派名称ではありませんでした。  

「半硬軟(パンガヰヌーン)流」は昭和初期に流派名を上地流に改める前の呼称ですが、私の道場では、諸般の事情があって「半硬軟(パンガヰヌーン)流空手道連盟」という組織に所属していたのです。(上地流分裂の途上で昭和53年に発足した連盟)  

当時の館長は、現在下地派上地流の下地康夫先生で、師範代が山田親和(しんかず)先生(故人)でした。下地先生は1年くらいで八王子市内に別の道場を開設され、それ以降は山田先生が師範として私たちを指導頂きましたので、私の師匠は、実質山田先生ということになるかと思います。湘南修武館の一部の指導者の方は、沖縄で山田先生に会って頂いたことがあります。  

そして、下地先生と山田先生の師匠が、米須 清(こめす きよし)先生(故人)で、私も沖縄から大会審判で来京された米須先生に幾度かご指導頂いたことがあります。
体格の良い、がっちりとした先生で、とても優しいお人柄が印象的でした。
(組手が得意な先生だったと山田先生からお聞きしていました)
 

昭和40年代に?沖縄から上京し、相模原で道場を開設されていたそうですが、その頃道場でお使いになっていた氏名札(写真)を色んな経緯があって私が貰い受け、「ゆめかなかん」の応接室に大切に飾ってあります。



 

 では、米須先生の先生はどなたか???  

それは、先日の沖縄遠征で交流稽古の機会を頂いた、沖縄硬軟流空手道協会会長、糸数盛昌先生のご尊父、糸数盛喜先生(沖縄県空手無形文化財指定保持者、故人)です。
糸数先生は戦前に尼崎で上地完英先生に師事され、和歌山を訪ねて上地完文先生からも幾度もご指導を受けられたそうです。
戦後は沖縄に帰郷され、上地完英先生をサポートしながら、上地流普及発展のために邁進されました。
 

さて、ここで上記の伝承系譜をまとめてみますと、  

●周子和(福建省) ⇒ ●上地完文 ⇒ ●上地完英 ⇒ ●糸数盛喜 ⇒ ●米須 清

⇒ ●山田親和 ⇒ ●藤本恵祐 ⇒ 湘南修武館の皆さん

 ということになり、皆さんは周先生から数えて8世代目、その伝承の歴史はゆうに100年を超える計算となります。  

以上ご参考までにご紹介してみました。  

もっと詳しいお話しをお聞きになりたい方には、ワイングラスでも傾けながら、ゆっくりお話しできる機会を作りたいと思いますのでご連絡ください(笑)

 以上








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