『上地完文先生の師匠の謎に迫る』 |
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館長 藤本 恵祐 |
2015年1月30日 |
もうすぐ2月に入りますが、寒い冬ももう少しで終わりですね。
さて、今月10日〜12日に沖縄を訪ねました。主な目的は協会理事会での各種打ち合わせ、新年会参加と、またまた上地流の歴史探訪です。
訪沖時はいつも上地流ゆかりの方を訪ねてインタビューしまくるのですが(笑)、今回は物凄い収穫がありました。
子どもの頃に伊江島で完文先生から上地流唐手の手ほどきをうけた女性の方に初めて面会を果たしたのですが(公式HPには記事UP済み)、その方は、何と完文先生の師匠や修行の地などについて先生からかなり詳しく聞き取っておられたのです。
私が昨年書きました「実録・上地完文伝」では、完文先生の師匠については諸説あるものの、福州市武術協会の調査結果やさまざまな口伝から総合判断すると、「周子和師匠説をゼロクリアする史実は、もう出てこないであろう」という一つの結論をご披露致しました。
しかし、今回の面会では、完文先生の師匠は99%「周子和」先生で間違いないであろう、と確信を持つに至った重要な証言を得ることが出来たのです。もう少し早く面会が叶っていれば、私の伝記の筆致もかなり違っていたのではないかと悔やまれます。
なぜそのような確信を持つかに至った理由については、別途きちんと整理をしたうえで皆様にも開示したいと考えていますが、そこで私が当惑してしまうのは、私の伝記執筆を見越すかのように、ある空手月刊誌において(2014年3〜5月号)、他流派の先生が周子和先生は完文先生の師匠ではない、という記事を発表され、それも100%断定的な論調でした。おまけに、「上地流のルーツに関するねつ造議論に今回終止符を打ちたい」という主旨の宣言まで付いて(笑)
これは困りました。書物という媒体で自説を披露した場合、一旦人目に触れたら消し去ることは不可能であり、もし私が今回収集した証言を公にしたら、それこそねつ造したのは誰か?という騒ぎになってしまう恐れがあるからです。
少なくとも、完文先生が自ら語った師匠に関する情報は、その月刊誌が新たに完文先生の師匠として取り上げた福建省のさる拳法家とは全く異なる(道場の場所、修行・生活環境、子弟関係など)内容だからです・・・。
いつ、どのような機会に私の調査結果を公にするか・・・。何も私は沖縄空手界に波風を立てるようなことは望んでいないのですが、このまま史実とは明らかに異なることを上地流修行者として放置はできないと思っています。(逆に、もっとたくさんの上地流関係者には、そのルーツ、歴史、技法に深い関心を寄せて欲しいところ)
「歴史は足で学べ」
たまには真面目な投稿記事も載せておかないと(笑)
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